米国3次元CADの旅

by 竹田 陽子

1999年6月24日〜7月4日に3次元技術利用についての米国調査旅行に行ってまいりました。短い期間でしたが、3次元CADづくしのなかなか濃密な体験になりました。そのご報告です。


<もくじ>

出発前

1999年6月24日 飛行機の中で

1999年6月25日 NCMSとフォード

1999年6月26-27日 ミネアポリスの週末

1999年6月28日 St. Thomas大学

1999年6月29日 ボストンへ

1999年6月30日 PTC

1999年7月1日 HBS

1999年7月2日 MIT

1999年7月3日 日本へ


出発前

出発予定の1ヶ月ぐらい前になってもインタビュー先があまり決まらないのではらはらしていたましたが、直前になってばたばた決まり、移動日と週末以外はすべて埋まって、ほっ。大学関係者以外は、すべて日本HPのコンファレンスで偶然出会った方々に御紹介をいただいて、実現したもの。縁というのは大切なものですね。

1999年6月24日 飛行機の中で

日本出発。飛行機の隣の席に、良く食べる陽気なアメリカ人が座っているなあと思っていたら、ちょっと話すと、デルファイ(自動車サプライヤー)のデザイナーで日本とのインターフェースをやっている人でした。3次元CADの使い方、効果を日本のメーカーに説いて回る役回り。3次元CAD導入のインパクトを研究してることを話すと、向こうも驚いて、二人して思わず「おおーっ」と叫んでしまいました。日本には年16回も来ているそうです。すっかりうちとけて、友達になってしまいました。

自動車の内装のデザイナーなので、モールド・メーカーとの関係が重要になります。

私 「日本では、3次元CADの導入によって、金型業者がアッセンブリー・メーカーの設計者と早いうちからコミュニケーションする現象が見られたが、そちらではどう?」

彼 「always」

米国のモールド・メーカーは日本の金型、成形業者に比べて規模が大きいので、3次元CADの導入が簡単であるようです。デトロイト周辺にたくさんモールド・メーカーがあって、詳細設計の前のスタイリングの段階から、3次元CADとface-to-faceのコミュニケーションによって密接に調整をするのがあたりまえになっているとのこと。

米国では3次元CADはコミュニケーションの道具ではなく、未熟な後工程の仕事を自動化する道具だという意見を何度か聞いたことがありましたが、少なくともこのケースではそんなことはないようです。

私 「3次元CADを覚えるのにどのぐらいかかった?」

彼 「初期の3次元CAD(ワイヤフレームとかサーフェスの時代)には2年かかったけど、ソリッド・モデラーは一週間で覚えたよ」

私 「ソリッド・モデラーを覚えるは難しいって日本のエンジニア達はよく言うけれど」

彼 「簡単だよ。メンタリティーの問題じゃないの」

うーむ。そうなのかな。確かに2次元図面をたたきこまれている人には難しいけど、初めから3次元CADを使っている人には簡単なのかもしれない。ちなみに、彼が3次元CADを使い始めたのは1985年(もちろん当時はソリッドではない)だそうです。

「今の3次元CADは精度が高すぎるよ。時間がかかってしょうがいない。もっと精度を下げればいいんだ」とは彼の意見。日本のエンジニアは決してこんなこと言わないなあ。

今度米国に来たら、モールド・メーカーとかをいっぱい紹介してあげると言ってくれました。

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デトロイトに到着すると、ミネアポリスに滞在中の國領先生(先生の日記はこちら)に出迎えていただきました。

私 「フォード美術館に行きたい!」

ということで、レンタカーを借りて、フォード美術館に。自動車というものがアメリカ人にとって非常に大事な文化なのだということがわかりました。自動車以外の工業製品もたくさんおいてあっておもしろかったです。國領先生が電話機の交換台を指し、「上の段が市外通話。下の段は市内通話。で、AT&Tはこの上と下で分割されたんだ」。なーるほど、交換手が接続する端子が上段と下段にわかれている。良くわかりました。

國領先生 「五大湖に行こう!」

しかし・・デトロイトから一番近場のヒューロン湖までは結構遠かった。でも、根性でヒューロン湖の南端に到達し、湖の水を触って帰ってきました。

 

1999年6月25日 NCMSとフォード

午前中、National Center for Manufacturing Science (NCMS) のInfo TEST SectorのExecutive Director John J. Sheridan氏にお会いしました。日本で電子メールでコンタクトしていた時から、ご自宅に夕食にご招待くださるなど、親切そうな方だと思っていましたが、イメージ通りのやさしい方でした。

NCMSは、政府と民間の半々ぐらいで出資してさまざまな製造技術の研究開発実験をおこなっている機関ですが、その中のInfo TESTというセクターは、情報技術の適用が専門で、1998年に完全に民間ベースになって独立しました。あまりに技術の進歩が速いので、政府のファンディングを待ってなんかいられないとのこと。

現在、さまざまなプロジェクトが走っていますが、大きく分けて分野は、

に分かれます。情報技術ベンダーとユーザー企業が複数参加して、具体的なテーマの下で、実験をおこないます。

現在走っているプロジェクトをざっと説明していただきました(各プロジェクトの詳細は、NCMSのホームページにあります。)が、興味深かったコンセプトに次のようなものがありました。

Sheridan氏は、日本企業や日本の機関の参加を期待しているようなので、ご興味がある方は、コンタクトされてみたらいかがでしょう。即座に役に立つとは限りませんが、ベンチャーのようなところを含む数多くの情報技術ベンダーやユーザー間のネットワークが出来て、情報が入りやすくなるのではないでしょうか。

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午後は、Sheridan氏にフォードのAdvanced Manufacturing Technology Developmentに連れていっていただきました。エリートの集まる奥の院というたたずまい。主にインタビューに応じてくださったSferro氏は大変な切れものという感じで、私のためにゆっくりゆっくり英語をしゃべってくださっているのに、話が抽象的過ぎてよく頭に入らない・・・國領先生にかなり通訳をお願い致しました。

最初に、なぜ「3次元CAD」を研究対象にしているのか?3次元CADは通過地点にすぎず、頭に思い描いたものがそのまま数学モデルとして表現されて実物になってあらわれるという姿が究極なのではないのか、と言われました。(國領先生の日記もご参照ください)

つまり、こういう形状はなりたたない、これは隣の部品と干渉する、これは強度に問題があるといった問題は、人間が考えなくても機械が勝手に回避してくれるようになるので、人間は何をつくりたいのかに集中できるようになるというのです。

デザインした結果は、3次元モデルという不完全なものではなく、working physical model(rapid prototypingの進化形のようなイメージ)として手軽にたくさん出力できるようになり、もちろん従来の試作は減るというビジョンです。

Sferro氏 「今日直面している問題は、過去に誰かが直面してすでに解決した問題です。エンジニアは情報を探すのに70-80%の時間を使っています。すでに解決された問題を数学モデルの中に入れこむことで無駄な繰り返しがなくなります。」

私 「エンジニアは子供が絵を描くようにデザインできるようになる?」

Sferro氏 「(ちょっと考えて)・・・そうだと思う」

私 「デザイナーの数は減少すると思いますか」

Sferro氏 「多品種化がますます進むのでそうはならないでしょう」

私 「たくさんのエンジニアがそれぞれ別のモデルをつくっている感じですか」

Sferro氏 「そう」

従来は工場や外注先などさまざまな人と打ち合わせしなくてはならなかったのが、一人のエンジニアがたくさんのことをできるようになり、それぞれのエンジニアが個室に入ってばらばらに仕事をしているイメージが浮かんできました。

私 「私の一番の関心事であるコミュニケーションはどうなりますか」

Sferro氏 「増えるでしょう。情報が共有化されるので、(組織としての)学習がすすみます」

何度も説明したり問い合わせたりするコミュニケーションではなく、黙って互いの成果物をみて理解しあうコミュニケーションなのかもしれません。

私 「specialization(専門化)はどうなりますか」

Sferro氏 「すすむでしょう。今のとは違ったかたちのspecializationだと思う。それがどのようなかたちになるかは私にはまだわかならない」

で、現実にそうなる傾向がみられるのか?という一番聞きたいところには、MITとの実験で、ポラロイドのレンズの再設計を図面なしでやって何ヶ月もかかってたところを15分にしたとのこと。

Sferro氏のビジョンの方向は大筋間違っていないような気がするけど、機械系の世界でこれがどこまでおこるかということと、これとは別に(あるいはオーバーラップして)人間同士が協力して働くことの力を生かすビジョンがあるのではないかと、漠然と考えておりました。

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さて、夜は、Sheridan家にお呼ばれです。明るく聡明な感じの奥さんと20そこそこの息子さんに迎えられ、アルファルファ畑に面したかわいい家で、これぞおもてなし、という歓待をうけました。驚異なのは、息子さんが夜10時ぐらい私達が帰るまでずっと親のお客さんのお相手をいやな顔一つせずしていたこと。日本では考えられないですね。

私があまり話さないので奥さんが気にしておられましたが、奥さんの早口のおしゃべりが今回の旅で一番難しかったのですよ・・・ごめんなさい。

Sheridan氏は、またおいで、またデトロイト周辺のright personを紹介してあげるからと暖かく見送ってくださいました。

Sheridan親子と

 

1999年6月26-27日 ミネアポリスの週末

ミネアポリスに移動して、週末は、國領先生ご一家と遊んでいただきました。小学校3年生の娘さんは、すっかり日本語と英語のミックスでしゃべるようになっていて、あまりにこなれた発音で話すので意味が通じず私がぽかんとしていると、「日本語のほうがいい?」と聞かれる始末。

國領ご一家も、まだ地元であまり観光されていないのでこの際ということで、ずいぶんいろいろなところに連れて行っていただきました。

初日は、Mall of America (有名な大規模ショッピング・センター&遊園地)で娘さんとジェットコースターにのったりした後、セントポール市へ。ミネアポリスのごく近くにあって、2つ合わせてTwin Citiesと呼ばれています。セントポールの方が歴史が古く、巨大なカテドラルが町の小高い地域にどんと立っています。古いといっても19世紀のことだから、これを寄進とかで建てるのは大変なことだったに違いないです。カテドラル近くのその名もsummit Avenueには町の有力者(だった?)達の屋敷がずらり。夜は、Still Waterという郊外の町に出て、湖畔で食事をして帰ってまいりました。

翌日は、ミシシッピ川沿いを歩いて、製粉工場全盛時代をしのびました。ミシシッピ川で水力発電して、各地から運ばれてくる小麦を製粉するのが地域の一大産業でした。

川辺に製粉所の跡が保存されている。廃墟だけど周囲には怖い感じが全然ない。

このあたりは、昔は自然の滝があり、川面にずいぶん高低差がある。
左側が堰で、水位を徐々に下げて船を通しているところ。

午後は、ミシシッピ川の観光船に乗ってのんびりとすごしました。気持ちよかったです。

観光船から撮った写真。
前方で橋が途切れているのでは、船を通すために開いているから。

最後に美術館に行き、國領家で夕食をごちそうになりました。町から車で15分ほど出ると、もう辺りは湖沼地帯で、まるでリゾートに来ているよう。人間らしい生活ができるなあ。でも、冬は厳しいだろうなあ。

 

1999年6月28日 St. Thomas大学

ミネアポリスとセント・ポールにキャンパスがあるSt. Thomas大学のEstrem教授にお会いしました。はじめこのミネアポリスに本拠地を置く3Mのラボで3次元CADを使い、この分野に詳しいD.H. Brownというコンサルタント会社にしばらくいた後、ミネソタのこの大学に戻ってこられた方です。接着剤やテープで有名な3Mと3次元CADというのはピンと来なかったのですが、スコッチテープのディスペンサーとか、医療機械のデザインとか、結構、3次元CADを使っているそうです。

事前に質問項目を送っておいたのですが、なんと、その答えを紙にタイプまでして待っていてくださいました。ここでもまた、興味同じくして親切な方にお会いできました。

多くの大企業は3次元CADを活用しており、川下のプロセスともよく結び付けている。

中小企業は、導入が遅れた分一気にPCベースのミッドレンジCADを導入し始めている。

しかし、プロセス・デザイン(ラインの設計など)は、まだまだ2次元図面ベース。

既存部品はデータ交換の必要がでるまで図面のまま。新しい部品は3次元で設計される傾向。

電気系のCADとの融合はまだ混沌たる状態。

建築CADも3次元は普及していない。

CAD/CAEからCAM、PDM、ERPとシステムをつなぎ、品質保証やマーケティング部門を参加させるという方向にすすんでいる。

それぞれの部門が異なるツールを使い、データ交換が困難な状態。自動化の孤島(”Islands of Automation")現象がおきている。

IGESやSTEPなどの中間ファイルを通してだとフィーチャや制約条件がうまく伝達されない。標準化は、成熟した技術で可能で、進化途中のこのような分野では難しい。

Webベースのマルチメディア・ツールがでてきて部門間の情報共有の問題がかなり解決されてきた。ベンダーや営業、品質保証などが3次元モデルをWEBベースのビューアーで参照できるようになった。しかし、さまざまなユーザー間で共有できるもの、操作できるものには制約が残る。

Webによってインフォーマルな利用が増えた。

川下までデータをつなげる場合、通信の帯域も制約になっている。

リードタイム短縮や生産性向上、製品品質向上などはすでに成果がでている。

次のポイントは、インフォーマルなプロセスと柔軟性を増すことである。多くの人が開発途上の製品を見ることによって、ミスや品質上の問題を早めに指摘する可能性が増す。

高度な利用がなされるほど、カオスからオーケストラ、シンコペーション、ジャムというように、よりインフォーマルで即興的な使い方がなされるようになる。

ドラフター(製図をするだけの人)はいなくなりつつある。

3次元のモデリングツールを使える技術者は需要が大きい。技術者が特定のCADツールのみに習熟する傾向はあまりみられない。有限要素法が必要なCAEなど、スキルだけでなく、深い知識が必要な高度に専門化された分野では別であるが。

3次元ツールはパーツやモジュールの再利用を促進する効果があるはずだが、PDMが上手く導入されていない限り、設計者は必要なデータを探し出すことができていないし、そのインセンティブもない。

(製品の小型化は?)電機業界などでは、もちろん。小型化に限らず、顧客のニーズにあったデザインが選ばれるわけだが。

バーチャルなプロトタイプや大規模アッセンブリーが製品構造の決め方を変えて行くだろう。

PDMはまだ高く、それほど広まっていない。PCベースで導入しても、全体のコストがかかり、マネジメント上の問題が大きい。大企業でもまだニーズにあったソリューションを見つけていない。

また、PDMは従来、プロプロエタリーなシステムであり、システム間を連携するのは難しかったが、XMLの登場によって容易になりつつある。XMLをメタ言語とするPDMLでプロダクト情報の記述を定義し、クライアントからWEBベースで参照できるようになる。

STEPも、製品形状だけでなくプロセスまで記述しようとして複雑になりすぎたが、XMLでデータタイプを構造化することが現実的になってきた。

しかし、XMLも魔法の杖ではない。

Webベースでの利用が万能ではないけれど大きな焦点になってきていることがわかりました。エンジニアリングで閉じていたCADの世界が、Webベースで今まで技術には縁がなかったオフスワークにまで広がっていきそうです。

インフォーマルなプロセスを増やすことが重要という指摘もおもしろいですね。しかし、無秩序にインフォーマルにしてもだめでしょう。創造的で採算の合うインフォーマルさをいかに生み出すか、ですね。インフォーマルってなんだろう?

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午後は、セント・ポールの方のキャンパスに連れて行っていただき、工学部の先生方に紹介していただきました。ビジネス関係の先生方とはまったくタイプが違い、シャイでもの静か・・・

学部生にCADを教える講座は、かつては2次元CADでまず実習してから3次元に移っていったのが、今年からいきなりミッドレンジCADで3次元CADから始めるようになったそうです。設計データができたら、となりの部屋でNC加工して、製品が実際にできるまでを体験することができます。この実習が即戦力になるというよりは、3次元で設計して実物ができるまでの流れを一度体験した人とそうでない人は大きな違いがでるのではないのかなあ。日本では、工学系の学部で3次元CADを教えているところもまだ少ないようです。

工学部のラボを見せていただいているときに、竜巻発生装置を動かしている先生と学生達に会いました。人の背の高さより少し大きな竜巻が本当に発生している・・・説明してくれる先生がまた、竜巻にもう夢中という感じでかわいかったです。

 

1999年6月29日 ボストンへ

午前中はミネソタ大学の國領先生の研究室にお邪魔しました。訪問研究員でも、日本の先生の研究室より広いぐらいに見えました。いいなあ。

午後はボストンに飛びました。これからは一人です。

空港からホテルに行くバスに乗ったとき、今回の旅では唯一ちょっと怖かったことがありました。市内のホテルに順番に客を下ろしていき、私が最後になったとき、道路封鎖に囲まれてしまい、ちっともホテルに近づけません。そのうちバスの運転手が、癇癪をおこし、ハンドルをばんばん叩いたりして荒れ狂いだしました・・・「もう家に帰りたいよぉぉぉ。あんたは降りて歩いたほうが早い!」とか言われたのですが、どうみてもかなりの距離があり、夜だし、スーツケースはあるし、ふーむ、これは乗っているのと降りる方とどちらが安全だろうか?と迷いましたが、困っているうちに、ま、なんとかホテルまで連れて行ってくれました。街中の車の運転をみていても、ボストンっ子は、「いらち(注:大阪語)」な傾向にあるような・・・

 

1999年6月30日 PTC

今日は初めて一人でインタビューします。ボストン郊外のWalthamというところにある世界最大手の3次元CADベンダー、Parametric Technology Corporationのマーケティング・ディレクターDan Starr氏にお会いしました。

早く行きすぎて受付で待っている間に、おもしろいできごとが。受付の方が待っている間にこのフォームに記入するようにと言うので、はいはいと受け取ってみると、カラーで何ページもある書類。よーく見てみると履歴書でした。受付の人は、私が就職活動に来たのだと勘違いしたのですね。記念にもらってくれば良かった。

Starr氏はこれまたひとつひとつの質問に丁寧にわかりやすく答えてくださる方で、リラックスして2時間にわたりインタビューさせていただくことができました。要約すると、

といった話がでました。

製品が単純ならば部分最適で十分なので簡単な3次元CADをポイントで入れるという考え方が日本企業にとって良いかどうか。むしろ部門間コミュニケーションを活性化するためにいろいろな部門に安いCADをたくさん入れるという使い方なのではないのかなあ。

コンセプト・デザイン(レイアウト設計)が3次元化してきたというのは、重要な現象だと思います。3次元CADが詳細設計の道具であるうちは、新しいものを生み出す力はまだないのです。スタイリングのデザイナーの作業の3次元化とともに最上流(=最下流=顧客との接点)の3次元化はこれから日本でも焦点になるでしょう。

1次サプライヤーが多端末になり、2次以下はついていけていないなどは、まるで、日本の状況を聞いているような話ですね。

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午後は、トローリーバスに乗って、街中を回りました。観光ポイントをぐるぐる循環して回っていて、客は何回でも昇降可能というものです。土地勘をつかむのになかなか便利でした。制限時間切れで他のバスに乗せてもらえなかったお客さん達を、人の良さそうな運転手さんが次々拾ってあげて(拾えば拾うほど仕事終いが遅くなる)、最後までけなげに観光ガイドを続けてくれたのが美しかったです。

 

1999年7月1日 HBS

今日はアポが午後遅くからなので、朝からボストン美術館に行って来ました。西洋美術だけでなく、東洋やエジプトなど世界中の美術品が集結しているのは壮観で、お茶を飲んだり食事をしたりしながらのんびりと一日中いてもあきない感じです。

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ハーバード・ビジネススクール(HBS)は、私の母校の慶応ビジネス・スクールのモデルとなった学校で、師匠の國領先生の出身校ですので、いままで間接的に教育を受けてきたような気がいたします。行ってみると、なかなか趣のあるキャンパスです。由緒ありそうな建物の中に入ると近代的なオフィスになっています。

Technology & Operations Management部門のThomke先生にお会いし、研究の相談にのっていただきました。

TOM部門の性格からして当然ですが、Thomke先生は、パフォーマンスの測定に拘ります。諸条件をコントロールして、3次元CADの導入が開発パフォーマンスにどれだけ影響を与えるかを測定するというイメージです。情報技術の導入をプロセス・組織の再編成と同時選択される変数ととらえないと、総合的なパフォーマンスとの直線的な結びつきを示すのはちょっと難しいかもしれません(出ても擬似相関)。問題解決数の時系列変化といったものならばわりときれいに出るでしょう。そういうデータが同じ尺度で複数ケースとれると強力だなあ。

製品特性の影響を調べるため、クロス・セクショナルな(自動車、電機など複数産業にまたがった)調査をしてみたいということ言ったら、米国ではあまりクロス・セクショナルというのはうけないな、とのこと。確かに、コントロールできない変数が増えて、厳密さを失う可能性がありますね。でも、それでいいのかなあ。

おもしろい研究と思うので楽しみにしていると励ましていただきました。

 

1999年7月2日 MIT

今日は、設計自動化の問題を研究をされているNitin Joglekar先生にお会いしにMITにお邪魔しました。互いの研究内容を話し合いました。

Joglkar先生の研究は、製品開発プロセスをどこまでを自動化すると生産性が最も高くなるか、という問題設定です。機械系のCADだけでなく、電気系のCADやCASEなど広い範囲の技術を取り扱っていますが、人間の情報処理能力を(コミュニケーションを通じて)どのように引き出すかという私の問題設定とちょうど裏表をなす感じです。この2つは必ずしも代替関係にないというのが難しいところです。とてもシナジーのある研究なので今後も情報交換していこうということになりました。

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MIT美術館に行ってホログラムを体験し、夕方はクインシー・マーケットに買い物に行きました。子供を預けて10日も留守にしているのですから、まじめにおみやげを揃えなくてはなりません。

大道芸も出ています

 

1999年7月3日 日本へ

さて、日本に帰ります。楽しかった。

実は、米国に行くのは初めてだったのですが、同じ興味をもっている方々にばかりお会いしたことが、言葉の不自由を乗り越えて楽しめる結果につながったように思います。相手をしてくださった方々の辛抱強さ、寛大さにはほんとに頭が下がります・・・ありがとうございました。

 

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