用語解説
バーチャル(virtual)
バーチャル(virtual:ヴァーチュァル)は、通常「仮想」と訳され、情報技術によって作り出された虚像の世界、リアルの反対、ヒューマンタッチやフェース・トゥ・フェースのコミュニケーションが欠けている状態といった印象がつきまとっている。この言葉は、1992年のダビドゥ・マローンの『バーチャル・コーポレーション』 を始めとして、1990年代前半頃からバーチャル・コミュニティ、バーチャル・ファクトリー、バーチャル・チームといった組織の形態を表す形容詞として盛んに使われるようになった。現在では一時のブームは去ったようであるが、ビジネス・シーンにおいてごく日常的に使われている。しかし、「仮想」から来る語感だけが先行し、バーチャルが組織形態を表す言葉として使われることの含意が顧みられていないように感じる。
virtualの語源は中世ラテン語のvirtualisで、有能、有徳といった意味のあるラテン語virtus(virtueの原型)から来ており、ものごとに本来備わっている性質や力により有効な影響力があることを指している。転じて、「(表面上・名目上そうではないが)事実上の、実質的な、実際の」という意味があらわれ、今日でもほとんどの辞書で最初に乗っている語義になっている。その後、物理用語として「仮の、虚の」という意味が出現した。virtual image(虚像)、virtual focus(虚焦点)、virtual particle(遷移において一時的に出現する、直接検出できない仮の粒子)などである。しかし、もっと最近になって生まれたコンピュータ用語では、ハードディスクをあたかもメインメモリのように使用するバーチャル・メモリー、セキュリティを強化することによってインターネットを私設ネットワークのように安心して利用できるようにするバーチャル・プライベート・ネットワークなど、多くの場合「事実上の、実質的な」という意味で使われている。
組織形状を表す言葉としてのバーチャルはコンピュータ用語から来ていると考えられ、当初は、「仮の、虚の」という意味よりも「事実上の」という意味で使われることが多かった。ダビドゥ・マローンのバーチャル・コーポレーションは、顧客が必要とするときに即座に製品やサービスを提供できるような組織形態であり、その要素として、関係志向のサプライヤー・リレーションシップ、チームとして行動する従業員、個別の顧客と長期にわたって継続される双方向のコミュニケーション等が挙げられている。サプライヤー、顧客、従業員が分断された存在ではなく、事実上ひとつの共同体として結びついているというイメージであり、情報技術はそのような組織形態を実現するためのツールとして捉えられている。 インターネットが爆発的に普及する直前に世に出されたラインゴールドの『バーチャル・コミュニティ』 は、相互にゆるやかに結ばれたコンピュータ・ネットワークを通じて、人々が人間としての感情を十分にもって時間をかけオープンな議論を尽くすことによって実現されるパーソナルな人間関係の網とされ、コミュニケーションのツールは新しいかもしれないがあくまでリアルな人間関係そのものを指している。
バーチャルがコンピュータ用語から転じて組織形態を表す形容詞として使われるようになった背景には、情報技術が組織の急激に浸透し、その組織へのインパクトが無視できなくなっていることがあるのは間違いない。そこでの情報技術の捉えられ方は、情報技術によって人や組織を従来にない関係、組み合わせで結びつけ、新たな協働の力を引き出すということであった。ところが、バーチャルが仮想と訳されるとき、情報技術によって虚像の世界がつくり出されるような印象が与えられてしまう。さらに言えば、その底には、組織と情報技術は不完全な代替関係にあると捉える世界観がある。例えば、工場を自動化して従業員を削減するなどは、組織と情報技術の代替関係の極みであろう。組織−情報技術代替観は、人間系とシステム系(或いは、機械系、情報系)という表現の背後にも存在している。しかし、情報技術利用の歴史からみると、情報技術と組織との関係は大きく代替から補完へという流れにある。人と人の多様なコミュニケーションを情報技術が支援するようになってきており、どこからどこまでが人間系でどこからどこまでがシステム系であるという区別が無意味になる局面が増えている。
情報技術が知識を形式化する、形式知しか伝えないということもしばしば言われる。ここにも、情報技術によって生み出されるデジタル・データが不完全に現実を映した虚像であるという観方が流れている。確かに、情報技術をフェース・トゥ・フェースに代替するものと捉える限りにおいてはどこまでいっても不完全な虚像かもしれない。電子メールでやりとりすることと、合宿をして夜を徹して話し合うことを比べれば、後者のほうがはるかに暗黙知を伝えると考えるであろう。では、3次元会議システムが使えるようになればどうであろうか。それでも直接会うのとは何か違うと答える向きもあるだろう。
デジタル・データ虚像観は一面の真実ではあるが、視野を少し広げて考えてみる必要がある。例えば、新製品開発で設計途上の3次元CADデータを見ることによって、図面ベースであった時以上に異なる部門や企業から意見が出るようになるという現象が起こっているが、そこでは情報技術は未だ形式化されていない何かを伝え、新しい知識を創発しているのである。24時間絶え間なく携帯メールをやりとりしている若者達は、暗黙のうちに何かを共有している。このような場面では、デジタル・データのやりとりはフェース・トゥ・フェースのコミュニケーションの性質を変えているかもしれないが、その重要性を減少させてはいない。部門間・企業間で3次元CADデータを共有するとかえってミーティングが増えることは少なくない。若者達が携帯メールを送る主な相手は、いつも頻繁に合っている仲間である。
さらに、情報技術が使われた(デジタル化された)途端、知識やプロセスが固定化され、やがて陳腐化するという観方がされることもある。しかし、これは文書化の特徴であって、デジタル化の本質ではない。その瞬間の認識、アイディア、方式等を言語や映像、さまざまなデータ表現によって表出することが、連歌のようにさらなる進化を促すこともあり得るのである。
情報技術の両側には人間がいる。情報技術を虚像を生み出す道具として使うのか、人間や組織が本来持つ力を引き出すように使うかは人間次第である。無論、情報技術の普及によってコントロール不可能な、或いは予測外の事態が生じることも事実である。そのため、情報技術がコミュニケーション、組織形態、組織革新、知識形成にどのような制約と機会を与えるのかを今後ますます注意深く、かつ大胆に研究していかなくてはならない。研究者も、実務家も、どれほど豊かなイマジネーションを持つことが出来るかを試されている。